小林 和泉 浦部 小倉 の順で掲載しています

小林 

所在地=千葉県印西市小林2712

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創建年代や由緒が不詳の所が多い鳥見神社ですが、ここは『印旛郡誌』や『千葉県神社名鑑』に割合詳しい解説の載っている所です。『千葉県神社名鑑』によれば創建は崇神天皇の御宇五年、印西十八ヵ村の総社。『印旛郡誌』では創建は崇神天皇の御世三年となっており、「大和国城上郡鳥見庭白(白庭の誤りか?)山鳥見大神御分勧請す…」の記載があります。また、「常陸国風土記」で景行天皇が常陸国をかえりみて御歌を詠まれた鳥見の丘はここであるとの記述があります。(景行天皇の鳥見の丘の比定地についてはまた別の考えがあり、それについては本抄最後に紹介してある栄町矢口一宮のところで説明してありますので参照してください。)

大和国で鳥見山と言われるところは何か所かありますが、『印旛郡誌』には城上郡とあるので、それは現在の奈良県桜井市の辺りです。桜井市の鳥見山には等彌神社が鎮座しています。「等彌」は「とみ」と読み「鳥見」と同音です。ただし現在等彌神社で掲げる主祭神は饒速日命ではなく大日孁貴なので、少々問題が生じるのですが、等彌神社の祭神についても異論があって、饒速日命を祀るとした文献もあります。実際当地は饒速日命の伝承の色濃い地であり鳥見山に近い桜井茶臼山古墳は饒速日命の墳墓であるとの伝承があります。

このことから、勧請先の千葉県の鳥見神社の主祭神が饒速日命であることには特に違和感は感じません。

また、興味深いのは桜井の鳥見山の北麓には宗像神社が鎮座しており、「とみ」と言う名の神社と宗像神社の組み合わせは、鳥見神社の集中域と宗像神社の集中域が隣接する北総地域の様相と符合しています。

さて、神社境内に由緒の書かれた石碑がありますが、これがまた興味深いものでした。

重要箇所を要約すると、「饒速日命は神武天皇が大和に進出すると、国を譲って一族を引き連れ当地に至り、この地方を開拓定住云々…」

なんと、饒速日命自らがこの東国の地へやって来たと書いてあるのです。すごいですね!

比較的詳しい由緒が残り、そこからかなりの古社であることがわかるため、ここが北総の鳥見神社の本宮であるとも言われます。堂々たる由緒書きの内容はそれを反映しているのでしょうか?

しかし、前述の栄町矢口一宮神社の問題もあり、断定は出来ないところです。

 

和泉

所在地=千葉県印西市和泉 622

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浦部

所在地=千葉県印西市浦部 2125

 

Googleマップに表示される経路案内を利用するときは要注意です。

道なき道を表示されるので周囲を探すと、近くに確かに鳥見神社に到る道を発見しましたが、

非常な急坂で、普通車で上がるのは躊躇されます。(登り切った所に駐車場もあるのですが…。)

駐車場へ行くのに別のルートもみつけ、こちらはまだ良い道でしたが、いずれにしても急坂です。

ですので、隣接している浦部仁王尊観音寺の駐車場に停め、併せて参拝することをお勧めします。

観音寺の裏の道が鳥見神社と繋がっており、

神仏習合の時代に何らかのつながりがあったと思われますので、

併せてのお参りは有意義なことでもあります。(参拝せずに車だけ停めることはやめましょう)

観音寺へは、県道282号線に大きな看板が出ています。

ただし、観音寺裏から鳥見神社への階段はやはりかなり急です。念のため…。

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小倉

所在地=千葉県印西市小倉

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ここで非常に気になるのが、『印旛郡誌』に記載のある「鳥見神社遥拝所」です。二基の鳥居の建つ入口に一段と高くなった所があり、小祠が鎮座しているので、それが遥拝所だと思われます。しかし、この遥拝所がどこの鳥見神社を遥拝しているのかわかりません。祠に向って参拝する方角にあるのは浦部の鳥見神社のみ。しかし、既にこの地に祭神を奉斎しているのにわざわざ他地域の同等の神社を遥拝するだろうか?では反対側の祠の向く方角に地域の本宮と目される小林の鳥見神社でもあるのだろうか?答えは否です。それでは、鳥見神社ではなく大和の鳥見山は?どちらの向きにも当たっていません。

さてここで、祠の向く方角の遥か彼方に一つの重要地点を見出しました。それは下総国匝瑳郡。東国における物部氏の最初の本拠地です。一説には匝瑳の地を賜った物部小事が祀られているとされる老尾神社がその方角にありますが、そこまではいささか考えすぎでしょうか?

やはり同地域の浦部の鳥見神社が先に出来て、小倉では最初そこを遥拝していた。その後小倉にも鳥見神社が勧請されたが、遥拝所は境内に残されたと見るのが穏当でしょうかね。